
今日のカウンセリング 2004年 12月
*カウンセリングってどうゆうこと?
最近よくクライエントさんから聞かれるのですが、
「カウンセリングってどうゆうことですか?」
これには、答えがあってない様なのであります。
よくそんな無責任な事が言えますね、と、
お叱りを受けそうなんですが、少し弁明させてください。
まず、カウンセリングとは、お説教でもないし、
自分(私)の価値観や、生きかたを押し付けるものではないからです。
但しモデリングというものがあり、
ある程度の型というものは、参考にしてもいいでしょう。
百人、人間がいれば、百とおりの生きかたがあり、
千人いれば、千人の生きかたがあります。
しかも、各々の生きかたにも、沢山の多様な選択肢があります。
なので「あなたの進む道は、これしかない」とは一概に云えないのです。
クライエントさんの中には、
「先生、どうしたら、いいのでしょうか?」という具合に、
直ぐに答えを欲しがる方がおられますが、
それではカウンセリングにはなりません。
例え話をすると、土にタネをまいて芽が出て、
木になるまでには、相当な時間がかかります。
その間に、台風や山火事に遭うかもしれません。
それでも、なんとか大木になり千年以上、生きてる木もあります。
心の傷を癒したり、心が成長する為というのは、
とても時間のかかる作業なのです。
「ローマは一日にて成らず」という諺にもありますように、
何十年も、かかって受けてきた、そして持ち続けた「こころの傷」は、
一瞬にて消滅するなんて事はないのです。
いずれにしても、カウンセリングとは、
カウンセラーとクライエントの共同作業です。
自動車免許を持っておられる方は、わかると思いますが、
教習所で仮免など受けて路上に出たとき、とても不安を感じるでしょう。
この時の教官はカウンセラー(先生)であり、
路上教習者はクライエント(相談者)であります。
カウンセラーは教習者が暴走しないように、横でブレーキをかけたり、
右折の仕方などを注意深くみて助言します。
そして人生という道を悪路であろうと共に駆け抜けていくのです。
そもそも、人間には悩みを、自分自身で解決する能力を持ち合わせており、
カウンセラーは、その力を引き出す作業をするだけです。

今日のカウンセリング 2004年 11月
*なりたい自分になるには
先日、私は高校の同窓会に行ってきました。
20年ぶりに会った友人のみんなには、とても懐かしさを感じました。
それと同時に思ったのは、周りにいる友人も自分も、
時代と共には、あまり変化しないものだということです。
これは、表現方法に語弊があるかもしれませんが、
人間は10〜20年スパン単位では変わらないのでは、
ないかということです。(生や死を除いてのお話です)
いや自分は、ここ数年で変化した、といわれる方が、
いらっしゃるかもしれませんが、それは生活環境が変わっただけで、
自分自身の中身までは変わってないでしょう。
そんな事が起きれば人格変容ということになるでしょう。
同窓会の話に戻りますが、○○大卒で○○会社に就職し、
○○と結婚し○○という子供が出来・・・
こうゆう会話が限りなく続きます。
皆がそれぞれの個人に、それぞれの大人になっていました。
私は、ふと「なりたい自分になる」というのは、
どうゆうことなのか、という事を考え始めました。
これは考えると、とても難しい作業だという事がわかります。
心理学でいうところの「自己実現」ですね。
最近この言葉はマスコミなんかでも、よく取り上げられています。
では、何が自己実現なのか?という詰問が、自分自身に降りかかってきます。
中には、出世してお金持ちになり、名声を得る事が、
自己実現だと考える方もおられるようです。
私が思いますに、そんなものは墓場に持っていけないし、
死んでしまえば全て無くなってしまうような気がします。
それよりも、「自分はどう生きたか」が最も重要なファクターであり、
例え平凡な人生でも、各々が目標や夢を持ち続けること、
また自分自身の運命に翻弄されることなく、それに突き進むこと。
そして人様にそうした自分の生き様を見せる、
後世にその生き方を伝える事が、人としての役割だと感じています。
では自己実現というところの、なりたい自分になるには、
どうすればいいのでしょうか?と皆さんは思うでしょう。
一つは自分の中に宿るイマジネーションの力を借りる事でしょう。
私は、いつも相談に来られるクライエントさんに、こう言っています。
「なりたい自分を想像してごらん」
「なりたい自分は自分の中にいる」
「なりたい自分は、なりたい自分を連れてくる」
皆様も、もう一度、自己実現そして、なりたい自分について、
深く洞察されてみてはいかがでしょう。

今日のカウンセリング 2004年9月
*人生はマラソンのように
アテネオリンピックも終わり、まだまだ暑いですが、
9月に入り、秋が、深々と近づいて来てますね。
私は先日、朝散歩に出かけると秋一番の風を感じました。
とても「さわやか」でした。
ところでアテネオリンピックも、いろいろな感動があり楽しませていただきました。
日頃、あまりTVを見ない私も、少しだけハイライトシーンの部分をTVで見ました。
その中で特に印象的だったマラソン選手のお話を書きます。
報道によると事件の起こりはこうです。
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29日、最終日に行われた男子マラソンで、トップを走っていたバンデルレイ・
デリマ(ブラジル)が沿道から飛び出した男性に抱きつかれ、歩道に押し出され
てストップするという、前代未聞のハプニングが起こった。デリマ選手はその後
レースに復帰したが、大きくペースを乱し、ステファノ・バルディニ(イタリア)
らに抜かれ、3位に後退。結局、銅メダルを獲得した。
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というニュースです。
これが、もし普通の人だったら、どうなっていたでしょう。
もし通常の心性なら、その場で、うずくまって立ち上がれないのではないでしょうか?
心臓がフル回転している時に急停止した状態というのは、
肉体以上に、計りしれない精神的ダメージが甚大です。
ましてや大観衆の前では尚更ではないでしょうか。
このブラジルの選手は、それにも、めげず、ひたすら自分の勝利を信じて続走しました。
そのスポーツスピリットが素晴らしいと思います。
結果は3位に終わりましたが、突如、表れた妨害者にも恨まず、
ブラジルの選手は「アテネよありがとう、走れたことに感謝しています」
と笑顔で答え、この選手の、さわやかな人間性が表れてます。
人生はよくマラソンに例えられます。途中にこのような障害が沢山あり、
倒れることも、しばしばでしょう。
でもそこから、何度でも起き上がって走り続ける事こそ、大事なのではないでしょうか。
「大地に倒れた者は大地に手をついて起き上がる」という格言があります。
人生には様々な困難、悩みがついてまわるが、それをものともせず、
ゴール(つまり臨終の場)では、本当に笑顔で「私の人生よ、ありがとう」と
言える事が人間としての生き方ではないでしょうか。
今、病気、経済苦、人間関係等で悩んでる方は多いですが、
長い目で見れば一つの過程に過ぎないのではないかと思います。
自分に果たされた様々な障害を乗り越えて、
いつの日か勝利のゴールを目指したいものです。

文責 藤永英治(ふじながえいじ)
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